お遍路ブログ
妙色山安楽寺
四国八十八ヶ所には30番札所が2つ存在し、お互いが争っていた時代があります。
妙色山安楽寺(みょうしきざんあんらくじ)
高知駅のほど近く、街中の路地奥に位置する。
元々お遍路さんが認知いていた30番札所(相当のもの)は土佐神社であり、
そのお世話をしていたのが善楽寺(=別当寺)。
明治になり神仏分離令が出されると、
善楽寺/安楽寺共に明治の神仏分離令によって廃寺となる。
30番の御本尊・お大師さまは29番国分寺に預けられ、札所機能は29番が兼務という形になった。
明治8年
安楽寺は復興。
29番国分寺に預けてあった30番札所の御本尊さまを受け取り、30番札所は復興した。
昭和5年
埼玉県のとある寺院を移転する形で寺格を取り戻し、
国分寺に預けてあった大師像を移して善楽寺が復興した。
以後、30番札所が2つ存在することとなり、その正当性を巡って論争となった。
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この経緯と元々の30番札所(相当)が善楽寺であったこと、裁判の判決が善楽寺の
正当性を示すものであったことから、この件は安楽寺が不利を被る事例が多い。
しかしながら、いち早く寺院を復興させて30番札所を復活。
今のように多くのお遍路さんが訪れる時代ではない中で(特に当時の土佐は)
善楽寺が復興するまでの55年間その法灯を守ったことは、
お四国・30番を回るお遍路さんには知って頂きたい史実です。
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境内に祀られているお地蔵さま
こちらは見事に顔が潰されています。
土佐が廃仏毀釈(仏教排斥運動)が激しい土地柄であった、物言わぬ証人です。
今となっては静かに佇むこの姿こそ、霊場の風格を留めているのではないでしょうか。
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文 : 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 / 四国六番安楽寺出家得度 野瀬照山
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