お遍路ブログ
島に残る古の風習vol.5
両墓制における「埋め墓」を見学させて頂いていると、丘の上に寺院らしき建造物が。
こちらの交差点に戻り、丘の上へと向かいました。
島で唯一の商店
この島には、本物のレトロが存在します。
猫の額ほどの畑には、まんば(高菜)が青々と茂っています。
空き家・廃屋が非常に多い中で、人間の営みが感じられると安心します。
とにかく路地は狭く、坂が多い。この島にはモータリゼーションが訪れていません。
井戸でしょうか。使われていない模様。
階段が始まり、堆く積まれた石垣が現れました。
麓から見えた建物は、やはり寺院でした。利益院(りやくいん)と言う名、とっても素敵なネーミングです。
奥の山並みは、弥谷山。左に稜線が落ちていった先には、
海岸寺奥の院・御盥山(おたらいざん)の塔が見えます。
利益院さんは、廃寺となっていました。
真言宗の寺院で、聖観世音菩薩を祀っていたようです。
障子の破れ方と言い、ひとけの無さと言い・・・明るいこの時間でも、少し不気味です。
夜来るとチビります、多分。
お堂の裏に回ってみると・・・
あった!
海沿いの青い屋根の霊屋が埋め墓、
利益院の裏手にあるこの石塔こそ、参り墓に違いありません。
しかし、草ぼうぼうでおおよそ参拝されている様子は見られない。
・・・おそらくこういうことでしょう。
この参り墓は丘の上、高齢になった島民には訪れにくい場所になっている。
それに加え、現在の埋葬の主流は火葬。埋め墓は不要、(遺灰を)埋める墓と参る墓は同じで良いのだ。
(島に火葬場は無いので、四国本土で火葬するようです)
つまり、埋め墓が恒久的な墓となりつつあり、
両墓制が残っていると言っても、現在進行形で現代日本のスタンダード・単墓制に移行している。
最近まで両墓制が存在した島
深刻な過疎化となっているこの島では、そう呼ばれる日が遠くないではないでしょうか。
野に帰りつつある参り墓、参道を挟んで兵隊さんの墓がありました。
鮮やかなビビッドカラーの造花が目に飛び込んできます。
戦争で命を落とした兵隊さんに埋め墓は存在しません。
一般人の参り墓と同じ場所(丘の上の少々不便な場所)にあって、
兵隊さんの(参り)墓はきれいに手入れされた姿が、印象的でした。
島民の参り墓と、兵隊さんのお墓
海岸線には青い屋根の埋め墓(現在、参り墓兼用)
海を挟んで、死霊が集まる山とされる弥谷山(71番弥谷寺がある山)
この島に限らず、瀬戸内海の多くの島では人が亡くなると遺体は土に埋葬して、
遺髪は71番弥谷寺に納める「弥谷参り」と呼ばれる習俗が存在したそうです。
終
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文 : 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 / 四国六番安楽寺出家得度 野瀬照山
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