お遍路ブログ
島に残る古の風習vol.3
粟島を経由して、志々島(ししじま)を目指します。
粟島・上新田港を出た船は、十数分で志々島に接近。船は本村港に着岸します。
念願の志々島上陸、気持ちが高ぶります。
帰りの船の出港時間と、この場所を覚えておかないといけないのだが・・・ 待合所などは一切無し(^^;)
正確には停留所のような看板はありましたが、なぜか白で塗りつぶされていました。
花壇と、かかしのお出迎え。
瀬戸内の島らしい、狭い路地
昭和の始めには人口は1,000人以上いた志々島、現在の人口は僅か20人。
産業の衰退、住民の高齢化、人口減少・・・ 地方ではどこでも抱えている過疎の問題が、ここでも例外ではない。
往時のこの商店は、どのような賑わいだったでしょう。塀に沿うようにタコ壺が並ぶ民家に、人気(ひとけ)はありません。
今回、志々島を訪れた最大の理由であり、最も気になっているのがこの島の墓地
路地を抜けた先に、それは広がっていました。
続く
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文 : 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 / 四国六番安楽寺出家得度 野瀬照山
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