お遍路ブログ
島に残る古の風習vol.4
人口20人の志々島(ししじま)、この島に伝わる墓地を見たくて来島しました。
路地を抜けると・・・
ついに現れた、青い屋根! インターネットで見たのと同じ、佇まいです。
青く塗られた切妻屋根の小屋、そのほぼ全てに軒先から垂らされたスダレ(多くは青色)、
犬・・・じゃなくて、これがこの島の墓。
陽当たり良し、風通し良く、生前生き慣れたであろう海のすぐそばの好立地(台風の時は高潮被るでしょうが)。
この島を含む塩飽諸島(しわくしょとう)には、「両墓制(りょうぼせい)」という名の墓制度が今も残って居います。
両墓制とは墓が両方(2つ)ある、両方の墓とはそれぞれ「埋め墓」と「参り墓」と呼ばれる物で、
それぞれが別の場所にあることを指す。(対して我々に馴染みのある墓制度は「単墓制(たんぼせい)」)
古来日本での死者の埋葬は、土葬(どそう、土に埋める)だったわけだが、
死者は穢れたものとする宗教観があり、ある種、忌み嫌われる存在でもあった。
そのような場所で祭礼を行うのは相応しくない・・・
そこで「埋め墓」に埋葬されてある一定期間が経つと(地域によって違うが、志々島の場合は四十九日らしい)
別の場所に「参り墓」と呼ばれる別の墓を設け、以後の祭祀はそちらで行った。
そう言った考えから生まれた両墓制だが、この制度で行くと単純に一人につき墓地が2つ必要であり、
いつか日本中は墓で埋まってしまう。
・・・わけではないと思うが、忙しい現代人に2つの墓を管理する時間はあまり無い。
その上、現在の埋葬方法は火葬(かそう)が一般的であるため、土中で遺体を処分せずとも良い。
そう言った理由から両墓制は急速に姿を消していき、このような島嶼部にしか残っていないわけです。
>忙しい現代人に2つの墓を管理する時間はあまり無い。
造花が多く捧げられている事から感じました。(造花を否定する意味ではありません)
中には崩れてしまっているお墓があります。
裏に回って見ました。
一人のご老人が、お墓参りにやってきました。
戸(すだれ)を開けて、水と花を換えて・・・ あれれ?
ここは「埋め墓」なはず。お参りする「参り墓」は別の場所にあるのでは??
(この件はのちほど)
両墓制の説明が近く掲げられていました。
青い屋根の霊屋(たまや)はあくまで志々島独特の文化であり、この小屋イコール両墓制というわけではありません。
丘の上に、寺院らしき建造物が見えました。
そちらに行くと「両墓制」の事、さきほどお墓参りに来ていたご老人の行動がわかるかも・・・
行ってみることにしました。
続く
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文 : 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 / 四国六番安楽寺出家得度 野瀬照山
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