お遍路ブログ
四国八十八ヶ所の古いガイドブック発見
友人が自宅の押し入れを片付けていたら、四国八十八ヶ所のガイドブックが出てきたらしい。
それは祖父が回った際に使用した物とわかり、私に見せてくれました。
現在と一番の違いがあるのは、61番香園寺さんの本堂。
現在は鉄筋コンクリート製の大聖堂が本堂となっていますが、この頃は木造。
30番は安楽寺さん。30番札所が2つ存在していた時代。
平成初期までの納経帳を見させてもらうと、30番は安楽寺さんになっていることが、よくあります。
札所が2つ存在した時代は、どちらを回っても良いとされていたと聞きますが、
多くのは人は安楽寺さんを回っていたのでしょうか?
33番雪蹊寺さんは、境内に松の木があります。
他の写真を見させてもらうと、境内に松の木が佇んでいる写真が数多く存在しました。
この頃の寺の樹木と言えば、松が定番だったのでしょうか?
25番津照寺さん、26番金剛頂寺さん
現在はどちらも鉄筋コンクリート製の本堂ですが、この頃は木造。
26番さんは現在の車道はなく、麓から約4kmの山道、とあります。
その極めつけは、60番横峰寺さんでしょうか。現在の林道はなく、ふもとから約2時間の登りとあります。
昔は裏から登る(星が森経由と思われる)のが、メインルートだと聞いたことがあります。
36番青龍寺さん、現在は宇佐大橋が無料化され、難なくお寺まで行くことができますが、
橋が開通する前は対岸の宇佐から「竜の渡し」と言われる、渡船で上陸して打ち戻っていました。
宇佐大橋はもちろん、「横浪スカイライン」や「塚地トンネル」は、この時代まだなかったようです。
1番付近は、現在は廃止になった国鉄の鍛冶屋原線が、現存。
5番地蔵寺さんは、駅近くのお寺さんだったわけです。
このガイドブックの初版発行年は、昭和40年!
小生、生まれる十数年前。今から50年近く前に発刊されたということです・・・
この本は主に車で回られる方向けに、書かれています。
当時は道の整備が不十分で、舗装されていれば良い方だったでしょう。
寺院の駐車場に着いても、境内まで歩かないといけない札所は多かったでしょうし、
前述のように山のお寺さんは、登山並に登る箇所もある。
札所に行くには、嫌でも歩き遍路をしないといけないでしょうから
「歩き遍路? 敢えてそうしなくても、歩かないといけないし」という価値観だったと想像します。
四国遍路に出ると言うことは、相応の心構えと覚悟を必要としました。
その苦難の見返りをご利益として授かるわけで、それが連綿と引き継がれてきた八十八ヶ所の伝統であり、
沙汰(噂)となって、全国からの巡礼者が止みませんでした。
今みたいに気軽・簡単に回れてしまっては、単なる観光に、非巡礼化・・・そんな危惧があります。
昔の遍路には遠く及ばないものの、苦難が待ち受ける歩き遍路。
それは「苦難の見返りをご利益として授かる」という、八十八ヶ所の伝統を受け継ぐ巡礼方法でもあります。
守って行きたいですね、四国八十八ヶ所・遍路文化。
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文 : 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 / 四国六番安楽寺出家得度 野瀬照山
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