はじめてのお遍路

お遍路基礎知識

四国六番安楽寺 住職からのオススメの言葉

お四国の仏さま 自然にふれてみませんか。
四国六番安楽寺 住職 畠田 秀峰

日本列島に住む人々は原始の昔からこの豊かな列島の自然の中に神仏を見出してきました。
そして山や海、森に分け入り自然の中に身を投じて旅をしました。それらを代表するのがこの四国遍路です。
日常のストレスを癒し、生きる勇気を汲みいる。病の人はこの道を踏むことによって健康な体に脱皮していく。
子供がお父さんやお母さんのものまねでなく、自分の意見を持つための成人通過儀礼として、またお坊さんや俳人、立学者やアーティストは、オリジナルな本当の自分を見つけるために遍路をしました。皆さんもお遍路をしてみませんか。

弘法大師・空海とは

七七四年、讃岐国屏風浦の佐伯家(現在の善通寺境内)に生まれ、幼名を真魚(まお)といった。郷里の教育機関である国学で学び、十五歳のとき母方の叔父で儒学者の阿刀大足(あとのおおたり)を頼り国内唯一の大学に入学するが、己が求める真理は得られないと悟り途中退学する。

その後山野を駆け巡りながらの修行に励み、一九歳のとき室戸岬の御厨人窟(みくろど)にて「虚空蔵求聞持法(=虚空蔵菩薩のご真言を一定時間内に百万遍唱えると、あらゆる経典が覚えられるという記憶術)」をという密教の秘法を伝授される。

さらに奈良・吉野や石鎚山などで修業を続け、あらゆる経典を研究する。密教の中に求めていた答えがあると確信し、二二歳で受戒して名を空海と改め、留学生として唐に渡る決意をする。困難な航海の旅のすえ長安に着き、まず梵字や書を学ぶなど準備をして後、真言密教第七祖・恵果阿闍利からわずか八ヶ月で密教の奥義をすべて伝授し、遍照金剛の名を授けられ一万人の門弟の中から真言密教第八祖に選ばれた。

滞在二年で帰国すると嵯峨天皇より庇護を受け、京の高尾山寺を足がかりとして弟子たちを各地に遣わし密教を伝える。さらにその一方で密教修行の道場として高野山を開く多忙の中、郷里の讃岐国の満濃池修復を唐で学んだ最新工法を民衆に指揮、また京に一般庶民のための初の学校・綉藝種智院を設立するなど教育にも力を注いだ。

嵯峨天皇より平安京の東寺を密教の官寺としての中心機関として賜った。八三二年、高野山にて初の法要・万灯万華会をとり行い、その後高野山にて隠棲し、八三二年、六二歳の時入定、現在も生き続けて禅定を続けているとされている。入定後の九二一年には醍醐天皇から弘法大師の諡号が贈られている。

四国八十八ヶ所の由来

四国八十八ヶ所の始まりには諸説ある。ひとつは弘法大師が42歳の厄年のとき(八一五年)、修行のために巡った道であるという説。

もう一つは弘法大師入定後まもなく、高弟真済がその遺跡を遍歴し始まったとされる説もある。また、衛門三郎(※別項参照)が大師を追って四国を巡ったのが遍路の始まりとも伝えられている。

いつの時期に八十八という数に定まったかは不明であるが、煩悩の数や「米」の字を分解したもの、または男42、女33、子供13の厄年を合わせた数、または八十八=無数を表すなどという説がある。 札所が特定の霊場に固定化されたのは、一六八七年・眞念著「四国邊路道指南」が最初とされ、多くの庶民が巡礼に訪れるようになる。これが現在に至る四国遍路の始まりといえる。

四国のしきたり

お宿では先ず、金剛杖を洗う。

金剛杖は弘法大師の化身と言われています。宿に入る時は先ず、金剛杖の先(大師の御足)を洗って宿に入ります。

橋の上ではお杖をつかない。

お大師様が橋の下で寝すまされるようなご苦労をなされたことから、お遍路さんは橋の上では杖をつかなくなりました。詳しくは十夜ヶ橋(愛媛)をご参照ください。

衛門三郎伝説

伊予国荏原に住む庄屋・衛門三郎は、ある日現れた屋敷の前で托鉢をする僧侶を追い返した。また次の日も、その次の日も現れ喜捨を求める僧侶に対してついに怒って竹のほうきで鉢を叩き落とし、地面に叩きつけられた鉢は八つに砕け、僧侶も姿を消してしまった。

実はこの僧侶は弘法大師だった。 翌日、三郎の長男が高熱を出して死んだ。その次の日は二男が、そのまた次の日は三男が、その具合で立て続けに八人の子供を全て失ってしまった。三郎は弘法大師が四国を巡暦しているという噂を聞いて追い返した僧侶がその本人だったことに気づき、懺悔の念から会って謝罪しようと妻と別れ大師を探す旅にでる。

三郎は二十回巡るも大師に会えず、二十一回目を逆回りに巡るが十二番焼山寺の麓(丈杉庵)で病に倒れてしまう。死期が迫る三郎の元へついに大師が現れ、詫びる三郎は許される。そして来世は河野家に生まれたいという願いを託して息を引き取り、大師は左手に「衛門三郎再来」と書いて握らせた。そして翌年、河野家に子供が産れ、なかなか開こうとしない左手を心配し、安養寺(現在の五十一番札所・石手寺)にて祈願したところ「衛門三郎再来」と書かれた石が握られていた。生まれ変わった衛門三郎は伊予の国主として善政を行う。

こうして衛門三郎は四国遍路の元祖と云われる事となった。
※衛門三郎伝説に関しては諸説存在し、河野家の菩提所で衛門三郎の屋敷であった文殊院(松山市、別格九番)に伝わる「遍路開祖衛門三郎四行記」などでも知る事が出来る。

遍路用語

札所

徳島二十三ヶ所、高知十六ヶ所、愛媛二十六ヶ所、香川二十三ヶ所、計八十八ヶ所の霊場のこと。

打つ

霊場におまいりすること。昔は木の納め札を札所に打ちつけていたことから、この言葉が残っています。「何番を打ちました」といえば何番かにおまいりしたことです。

通し打ち

すべての霊場を一遍に打ち上げること。

順打ち

一番、二番、三番・・・というふうに札所を順番に巡拝すること。

逆打ち

札所を逆番に巡拝すること。逆打ちは難コースが多いので、逆打ち一回は順打ち三回と同じ功徳・ご利益があるといわれています。

打ちぬけ

霊場にきた道をもどらないで、境内から次へと進む道にでることです。

打ちもどり

徳島二十三ヶ所、高知十六ヶ所、愛媛二十六ヶ所、香川二十三ヶ所、計八十八ヶ所の霊場のこと。

同行さん

遍路同士が相手を呼ぶときに使います。巡拝中に会ったときは、ご宝号を唱えて合掌します。

お接待

遍路さんに物品、金銭などを施すこと。接待は善根の施し、大師への供養になると信じられています。

一国まいり

1つの県を一国とし、巡ること。

お遍路心得

十善戒

十善戒は身(からだ)と口と意(こころ)のはたらきを正しくして生きていくことを誓い実践していくこと。弘法大師は「諸戒は十善を本とする」と説かれている。

三信条

摂取不捨の御誓願を信じ、同行二人の信仰に励む。(巡拝中は常にお大師さまとともに寝食をする思いで詣ること。)
何事も修行と心得て愚痴、妄語を慎む。現世利益の霊験を信じ、八十八使の煩悩を消滅させる。(いかなる人もこの世で救われると信じ、迷いの世界を転じて悟りの世界に入るよう功徳を積む。)

読経方法

読経方法

巡拝方法

  1. 山門や仁王門に一礼して境内へ入る。

  2. 水屋で口をすすぎ、手を洗う。ここで輪袈裟をかけたり、数珠を手にする。

  3. 鐘楼で鐘を撞く。鐘は自由に撞けるところのみでよい。また参拝後に鐘を撞くのは、戻り鐘といって縁起がよくない。

  4. 本道の納札箱に、納札・写経箱に写経を納める。納札には名前・住所・日付・願いごとを記入すること。

  5. お灯明・線香・賽銭をあげる。後の人のためにも、線香は中心、ローソクは奥から立てるように。

  6. 合掌し、心静かに読経する。読経の順序は別に記載。

  7. 大師堂へ行き、本堂と同様に参拝する。ハイ十八ヶ所すべてに、本尊をまつる本堂と弘法大師をまつる大師堂がある。他にも堂があれば参拝する。

  8. 納経所で納経帳などに朱印をもらう。

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